彼らは二人並んで糸をたれ、流れの上に足をぶらぶらさせながら、小半日をすごすことがよくあった。こうして、二人は仲よしになったのである。
どうかすると、二人は口さえきかない日もあった。ときにはおしゃべりもした。が、ともかく、趣味も似ていれば、ものの感じ方もおなじだったので、何を言わなくても、二人の心はちゃんと通じていた。
春は朝の十時ごろ、若やいだ太陽が、水ともどもに流れる、あのかすかな陽炎<かげろう>を静かな河面<かわも>にただよわせ、二人の太公望<たいこうぼう>の背中に陽春のこころよい温気<うんき>をそそぎかける時分になると、モリソーは、思い出したように、隣の連れに声をかける。
「どうです!いい気分ですなあ」すると、ソヴァージュさんもあいづちをうつ。「これにかぎりますよ」ただそれだけで、二人はたがいに理解し、心を許しあうことができたのである。
また秋は秋とて、日暮れなど、血を流したような夕照を受けて、水は真紅<しんく>の雲を宿し、河の全面は朱<あけ>に染められる。地平線は火と燃え、二人の友のあいだは火事のように真っ赤になる。また、冬の気配におののく焦茶色<こげちゃいろ>の樹々<きぎ>も金色に染められてしまう。そんなとき、ソヴァージュさんは、さもうれしげに、モリソーのほうを見て、声をかける。「じつにいい景ですなあ!」すると、モリソーも感に打たれて、しかし、浮子<うき>からはめ眼もはなさずに、答えて言う。「ふん、市中にいるやつらの気が知れませんよ」

(新・ちくま文学の森9 たたかいの記憶 二人の友 青柳瑞穂・訳)


実は、私が大学生の時、強く印象に残った一節というのはこの部分だったのです。
当時、フランス語の教授が、この情景描写を素晴らしい訳で解説してくれたためなのか、私がなれないフランス語を迷訳して「いい情景描写だなあ!」なんて勝手に思い込んでしまったのか、忘れてしまいましたが、ともかくこの一節が今になってようやく、人間にとって平和で幸せな気持ちを感じる大切なシーンではないかと思えるようになってきたということです。

このことについては、わたしの読後感の項で述べるとして


こんな素晴らしい日々を送っていた二人でしたが、やがて戦争が二人の楽しみや、職を奪い、二人は閑人<ひまじん>となってしまいます。
ある日、モリソーさんが腹をすかせながら場末<ばすえ>の大通りをぶらついていた時、二人はぱったりと出会うことになります。そして、飲屋でアルコールを飲み、すっかりいい気分になったうえ、生ぬるいそよかぜにあたって、さらに気分が高ぶったらしく、なんとソヴァージュさんが戦時下というのに、釣に出かける話しをもちかけたのです。

Copyright (C) 2001 Time Capsule Kyoto. All Rights Reserved.